7月9日 「はじまりのかたち」について考えてみた。
ぺらぺらな紙や、拾ってきたような段ボール、たまに何かの切れ端。
そんなものたちに描かれた作品が、ごく当たり前のように館内の壁を飾っている。
今回は主に、デッサンやスケッチ、エスキース等、「素描」を軸に紹介していく、いつもとは少し違った、風変わりな展覧会です。
しかし「素描」と簡単に括ってみても、展示されている作品は様々で、形態も、素材も、目的意識も、全く異なります。(こんなふうに↓)
最初に挙げたような、ともすればゴミにもなり得るような支持体に、短時間で躍動的に人体を描いたものや、風景の印象を写しとったもの。
パネルに貼られた画用紙に、じっくりと、積み上げるように、粘り強くモチーフを描きだしたもの。
本画制作の一端で、下絵として制作されたもの。
最終的な作品(立体やデザイン等)に至る過程から生まれた試作や原案など、一言では言い尽くせないほどに趣が異なります。
とはいえ、やはり共通点も見えてきます。
それは、どの作品においても軽やかさが感じられること。(樹根を描いたデッサンは例外かもしれないけれど。)
大作や本画に挑む時の、「失敗したらどうしよう……。」といった気負いから、遠く無縁なところで制作できるのが「素描」の魅力だと思うし、だからこそ、いい意味でのラフさを保ちながら描く事ができるのだと思う。
何しろ間違ったって、次がある。 画面にしたって、スケッチブックならめくれば済む話。
なんと素敵なことでしょう。
だって、高額な紙やキャンバスも、絵の具も、なにも無駄にすることなく、新しいことがはじめられるのだから。
これってとても大事なことです。
もちろん、大作に向かう時の緊張感やプレッシャー(「こんなに大きい画面でやらかしたら、随分なお金と時間と労力が水の泡だ……。」というような。)を、制作に活かしながら、ストイックに挑戦することも、とてもとても大切です。
でも、それってどちらが優れているとか、劣っているとかいうことはなくて、ベクトルが違うだけ。
「大作はイマイチだけど、エスキース、おもしろいね。」とかもあるでしょうし。また逆も然り。
なので、制作過程の一部として出来た作品でも、それ単体で成り立つものだと思います。
実際今回の展示を見ても、不思議な引力を持つ作品がたくさんあります。
「素描」は、作者の感覚の根っこだとか、芯の部分が一番現れる表現方法なのではないでしょうか。
試行錯誤がなされないままの、なにもかもがむきだしの状態。
作者の感じたこと、考えていること、やろうとしていることが、ダイレクトに散りばめられて、その荒っぽくて、のびやかで、熱っぽい感じが、愛しかったりするのです。
ラベル:
素描展2012
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