平田玉蘊展


6月19日(土) - 7月4日(日) 会期中無休 10:00~18:00

常設室 小林和作

作品数 21点 古鏡8点 入船先生遺品数点



 時は幕末、黒船の来航から3年後の1855年69歳で亡くなった玉蘊。玉の浦の水辺を見つめるように佇む持光寺(西土堂町)に彼女の墓があります。その墓碑には「平田玉蘊」。位牌には戒名の裏に「平田章(あや)」とあります。彼女は、当時女性の慣例であった、誰それの妻、或いは娘いう表記ではありません。一人の女性画家としての生涯を送ったことが、ものを言わぬ墓碑が語ってくれているようです。この「章(あや)」という名の由来を尋ねていくと、そこには人として、女性としてのか弱き一面と、自立した強き女性が画業に専念する・・・その想いの両面が見えてきます。幕末を目前とした時代に生きた玉蘊。その生き様は、当時としては実にまれな・・・画業で生きる自立した女性そのものでした。

 尾道ゆかりの画家、平田玉蘊の顕彰につきましては、昨年亡くなられた故・入船裕二先生(尾道市文化財保護委員参与)が平成6(1994)年から「平田玉蘊忌実行委員会」として、世話人の中心となって活動して来られました。主な活動内容は、毎年命日である6月20日に玉蘊の菩提寺の持光寺で「玉蘊忌法要」を営み、それに合わせ玉蘊作品の紹介や講演会などが催されてきました。入船先生は生前、玉蘊の顕彰が将来滞ってしまうことを危惧し、会の後継を私どもに託してご逝去されました。先生の遺志を継承し、新たなスタートを切るものとして、会の名称を「平田玉蘊顕彰会」と改め、微力ながら玉蘊の偉業を後世に伝えることを目的に発足致しました。

その第1段となります本展覧会「平田玉蘊展―絵を描き成す君よ―」では、未公開の個人コレクションが初の一般公開となります。今まで知られていた花鳥図だけに留まらない玉蘊の幅広い画風をご堪能頂き、今も尾道の人々の中に生き続ける「平田玉蘊」の存在を知っていただければ幸いです。
  
                



                      平成22年 6月19日
                           平田玉蘊顕彰会  会長 寺岡昭治

0 件のコメント:

コメントを投稿