平田玉蘊展 6月23日(水)




 


 今、白樺美術館の展示室は、江戸時代に生きた女流画家 ・平田玉蘊の作品で飾られていて、なんだかいつもより厳かな雰囲気だ。。そして、作品をひとつひとつ見ても、その細やかな筆使いに息をのむ。

 特に印象的だったのが【百花百鳥図Ⅰ】【百花百鳥図Ⅱ】だ。画面全体に花が散りばめられて、その中に色鮮やかな鳥が描かれている。その鳥たちの羽の質感は細かに描きわけられていて、それを目で追っているだけでも飽きることがない。鳥だけでなく植物も、丁寧に、そして緻密に描かれている。葉の葉脈や花弁一枚一枚にも手を抜くこと無く仕上げられていて圧倒される。その上、画面を彩る色彩は、きらびやかで、華やか。誰が見ても綺麗とか美しいとゆう感想を持つ、そんな作品だ。しかし、展示されている作品すべてがそうかとゆうと、そうではない。これは悪い意味ではなくて、良い意味で、だ。

 全部の作品を見てみて思ったのが、平田玉蘊とゆう人は、いろんな描き方をする人なんだなあとゆうことだ。それは単純に、描かれた時期とか描かれた内容とかも関係するのかもしれないけれど、それにしても作品それぞれの表情が、ひとりの作家のものとは思えないほどバリエーション豊かに感じた。

 例えば、【不二越龍松林六童図】は、とても奇妙な作品だ。11人の子どもが松の木の下に群がっているのだけれど(潮干狩りをしているらしい)、そもそもこの子ども達が、子どもの風貌からかけ離れているのだ。まず最初に目につくのが、この子達の体つきの気味悪さだ。背丈は確かに子どものそれだが、手足の筋肉のつき方がものすごい。異常に隆々だ。しかも全員。何か理由があって、こうゆう描かれ方になったのかもしれないけれど、それを知らない私にとっては衝撃的な光景だ。そしてみんな、はっきり言ってかわいくない。不細工だ。表情もうまく読み取れない。何を考えているのかわからない。
ひとくちにこう言ってしまうとけなしているようだが、決してそうではない。この11人は、ミステリアスで、なんだか気になる存在なのだ。それに、じいっと観察していると、牛のお尻を後ろから押している子どもは、実はちょっとしんどそうな顔色を浮かべているんだな、とか、右端の方にいるやつは、ほんの少しだけ他の子ども達より男前だな、なんてゆう発見もあって楽しくなってくる。
少し離れて見ても、薄暗い画面の中で子ども達の薄ピンクの肌色が、発光しているように浮かび上がってきて、不思議な存在感を放つ。なんだか目が離せない。

 そして、画面左上のもやもやは何だろう、とか、【不二越龍松林六童図】なのになんで11人なんだろう、とか、そんな事まで気になってくる。でもそれを、知りたくないような、知らずにそのままぼんやり眺めていたくなるような、そんな不思議な作品だ。



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